ありったけ生きるブログ

移住して便利屋やってます。

光を求めるだけ

批判やめたら何が残る?

f:id:i_kowa:20200509140601j:image

今の仕事が回り出した時には、それぞれの仕事相手や友人知人に報告できるのが原動力になっていました。

でも状況は変わるし、ずっと誰か支えてくれるわけじゃない。

行動量が減ったし仕事意欲が無くなっていたので「仕切り直そう」と過去を振り返りました。

そうして今、「周りにいてくれた人のおかげ様で力が出てた」と痛感しています。

「恐れ」の反対

失速した自分の心を観察すると、「動機を失っていた」と気がつきました。

動機がしまわれていた場所には希望も楽しみも無くなって「恐れ」がありました。

私だけでなく誰しも、「恐れにとらわれて希望を失う」危険があります。人間は生命が無くなれば終わりですから、恐れを感じるし守りを固めようとします。

でも「恐れ」を無視すれば良いかと言えばそうではなさそう。感情を捨てるなら「思いやり」も持てません。だから「ためになる仕事」はできないし、「人を大切にする人生」を選べません。

見落としてるのは?

リスクにとらわれ、それを遠ざけることを行動の軸にすると「打ち消し」の言葉が並ぶと気づきます。

「生活に困らない、飢えない、無駄にならない、失敗しない」

じゃあそれって具体的には何?

否定や批判に力を入れて「本当に自分が望む世界」を見失ったら本末転倒です。だから具体的に「何を目指して生きるのか」を、わかっていたいと思うんです。

問答無用で「光」へ向かう

f:id:i_kowa:20200506141625j:image

家庭菜園に植えたジャガイモの芽が出ました。

地中深く埋めすぎたかと心配しましたが、芋はたとえ深く埋められたとしても結末を悲観することなく伸びるでしょう。生きるか死ぬかの一生で、虫に葉を喰われるかも知れない地上に芽を出す。

“純粋な動機を信じて伸びた芋”ってことです。

停滞したり誰かのせいにする前に「やむにやまれずしたいこと」を思い出すべき。損得や否定&批判ではなく、「どれだけ熱中するか」ということが問われています。

熱中して生きる

取り憑かれたように脇目もふらず進む。見るものすべてに感動するし「覚えていたい」と感じられる。1ミリでも伸びて光合成するし、思ったことは伝えるしカッコ悪いこともさらけ出す。

明日も良い空気吸って生きて感謝する。そう在りたい。

人も植物も基本は同じ。伸びる時期や大きさ、枝の多さには違いがあるのかも知れないし一生埋まって終えるかもしれないし、そのことに不満を持つのは個人の勝手。

だけど自分は不満に気を取られず、光を求めたい。それが地上へ芽を出すと信じること。

生まれてきた瞬間から太陽はずっとあるし、気の毒な芋なんてどこにもいない。フォーカスするのは他人でも自分でもなく「生きている真っ只中の今」だった。

やっと肚が決まり、止まってた仕事に取り掛かってます。いつも見失わずに「心動く人生」を生きたい。

近い内容の過去投稿ありました↓

i-kowa.hatenablog.com