ある場所を思い出した
自転車での買い出しに普段と違うルートを使ったら既視感。南三重なのに飛騨高山の道に似てたのです。
7年ほど前には100kmRUNイベントなどに参加していて、その時に見た谷や川、水門や脇道の配置から「走ってた時の気持ち」を思い出しました。
走ってる時、何考えてた?
当時はランナーとして日頃からトレーニングしていました。取り憑かれたように走る姿は、周りから見て意味不明だったようです。
先輩から「走るとき何考えてんの?苦痛とか無いの?」なんて聞かれたりもしましたけど、多分「なにも考えていなかった」が正確だと思います。
記録とか順位を励みにしていたことがありますが、無心で「生きたい」と感じられるランイベントの魅力に気づいてからは「立ち止まらず進むこと」を自分の人生と重ねてました。
なんで忘れてたんだろう
長距離ランイベントのシーズンは主に夏で、有給取得や宿の手配で数カ月前から計画してました。1日休みを確保して前日入り。先輩や同僚も一緒に、車で行きます。
走り出せば順位やこだわりは無くなり、ただ走りきるか否かだけ。あたりさわりなく景色を見て帰るのではなく、生命力を燃やしてその瞬間を生きられました。
誰も救ってはくれないし自分がどれだけ動けるか心に問う。心の中にある弱音も風景への感動も、本当の自分。
同じ道を走ってる人もいるけど、協力はしないわけです。イベントのゴールは同じでも別の世界を生きている。悲しいかな、友人や家族だってそうかも知れないな。
世界のどこかで
ランイベントもやめてますし旅などをしなくなってましたが、既視感がきっかけで良い気持ちを思い出せました。
いま住む土地では、県外から訪れるバイク乗りを見かけます。「遠くに行きたい」とか1つでも多くの場所へ行きたいのは人にとって自然な気持ちかも知れない。
なんで忘れてたんだろう。
あれもこれも正直な気持ちだと、旅で思い出せるのなら試したい。
いま住んでるのはリアス式海岸の近くなので、地面の下は岩盤。登るほど直角に近づく山。
霞の中に道路。悪天候時には雷も光ります^^;
「ひきよせ」を感じた出来事
日常生活に望みを捨てないし、非日常と同じくらい生命を燃やしてたい。
もしそう思うなら綺麗な自宅で過ごすのは大切だし、アパートの退居や入居準備などを含めて日々のくらしと向き合うこともまた「人生で1度きり」の連続といえます。
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(↑情報漏洩には当たらないはず)
これって仏門あるある?不思議なめぐり合わせってあるなー。
すべての人や物に波長があって、波長がそろった人同士が関わり合うと聞いてます。そんな「ひきよせ」を感じた出来事でした。