悩みも希望も燃料にしてきたけど
つい最近まで仕事が停滞していたので、自分自身を動かす燃料を探したくて“人を奮い立たせる動機”について考えました。
欲望、恐怖、希望…
改めてリストしていると、“現在”を見てないと気がつきました。
未熟な私は、根拠のない未来を疑ったり、過去の良かった時を探していたのです。
動機に賞味期限はあるのか?
未来や過去でなく“いまの自分”を放置するなら0点です。大切にするべきは過去ではありません。
「悔しかったあの時を思い出して、克服したいと努力する」
「かつてと同じ幸せをまた味わいたいから、ワンチャンスを期待して続けてる」
「仕事の出来ない過去の自分に復讐するためなら、キツイ仕事も耐えられる」
「感情が表に出るのが恥ずかしいから、すまし顔で記号のようなコミュニケーション」
いろんなことを感じて、望ましくない形で燃料にしてきました。例えば「上司をたてる」とか「生活のため」なんて未来を悲観した後付けの理由より、大切なことは山ほどある。
「いますぐ動き出したい」と思わせる無限の可能性が目の前にあるのに、スルーし続けてきた。
これからはどんな時も、“いま”の自分をないがしろにしないよう気をつけたい。
「いま」の動機を感じるために
心を取り繕うことなく、すっぽんぽんになることがスタートラインのようです。
取り繕う、隠す、それらをやめたとき「世界の本当」を感じられるようになる。隠しすぎて自分自身でわからなくなっていた感情を取り戻す。
すると自然に燃え上がるのです。
過去の怨念、未来の妄想は不純物だから手ばなす。そのためには自分自身をないがしろにしない。
シンプルでも体力が必要ですが、それをクリアした時にだけ生きる場所を良い方へと進められたように思います。
隠しすぎて見失う
記号やハンコのようなコミュニケーションを、人は時として選びます。マニュアル的な対応です。社会の中でスレているというか、こなれていくわけです。
でもそうじゃなくて、あるもの全てに一喜一憂しても良かったんです。
「今日会えて良かった」
「ありがとう、生きていてくれて嬉しい」
コンビニでこんなことを言う人はいない。でも熱く生きたって良いし、明確な間違いなんて世の中には無い。
奇人でも無理してるようでも、それが心に湧き上がった本当の気持ちなら大切にする。
こんなの続けたら非常にパワーがいるけれど、今まで出会った“スケールの大きい人”や“望みを叶えた人”は皆、この道を通っているのではと思います。
「よくさらけ出すなー」
「こっちが恥ずかしいわ」と思われてもさらけ出す。
芝居の話ですが、心の伴わない記号のような喜怒哀楽を並べるのはヘタクソな役者とされます。
演じてるその瞬間に生まれた感情を、全身全霊で受け取って表出させるために訓練します。
そうして嘘が無く舞台上にあり続けることを「演りきる」と言いますが、その基礎体力は演者だけではなく誰の人生にも大切。
これは人の生き方を特別にする、唯一の力だと思います。
儚さベースで生きる
ずっと同じ状況は続かないし、同じ感情を持ち続けることもあり得ない。
(↑西洋風焼きそばを作りました)
同じご飯も2度とは食べられないわけです。
同じことを繰り返すとしても、毎回が以前より更新された自分。その瞬間の新しい感情を持つ。かつて希望を持っていたことには価値があるけれど、「過去の希望」を思い出しても価値はない。
前に進むのは儚くて苦しいけれど、心地良くも感じています。
これからはすっぽんぽんの時代
もう取り繕いは要らない。
そう思って生きていたら、「すっぽんぽん」でさらけ出す人と“だけ”しか本当には関われないと理解しました。
仕事は突然に新しいアイデアが湧き上がり、それから止まってた3つが進み出す。何もしてない時も多幸感。“好きな瞬間”が増えていく。
どれもこれも“いまの大切”だし、すべては「おかげ様」です。
あなたもどうか良い旅を。