京都に行ってきました。
観光地は素通りしましたが、郊外も良いです。
すべての願いは叶っている
「その人の現実は、潜在的にでもその人が願ったとおりに形作られている」
という法則があると数年前に聞きました。それ以来、ことあるごとに「いまその法則は当てはまっているか?」と確かめてきたのですが、これは例外のない事実でした。
要するに「願いはすべて叶っていた」のです。
これを聞いたら「そんなわけない、苦しみたいと願うはずがないのに苦しい時がある」と違和感を感じてしまうのもあり得ることだと思います。
ただこの法則については、顕在意識の思考だけで判断すべきものでは無いはずです。人が自覚できている意識は5%に過ぎず、潜在意識の割合が95%もあるそうですから。
認識していない部分で「待遇が良くなるから被害者でありたい」と願っていたり、「良いことばかりになるわけない」なんて思い込みから“苦しみ”をオーダーしていたのかも。
それが先に成就してきたと考えれば、法則通りに望みは叶っていたわけです。
ネガ&ポジ
私は自分自身を振り返って、願いに一点の曇りもなかったとは言い切れません。
100%の願いがあるとしたら、その一部を受け取り拒否してきたということですが、ひねくれていた原因は“自分自身の気持ちを無かったことにした”とか、“社会の仕組みに取り入るために長い物に巻かれようとした”という部分だと思います。
本心から発生した願いに向かう時にはエネルギーが生まれるし、それを見てみぬフリをするほど100%の理想世界から遠ざかります。
「場しのぎで生きながらえて自分の願いが思い出せない」
「最前線を駆け抜けて100%へ近づく」
どちらでも選べるし、毎秒どちらかを選んでいます。
この事実を認めて“願いが叶うまで願い続ける基礎体力”みたいなものが高まれば、少なくとも“願いが叶いやすい人”には確実になります。
そういう理由もあって、とんち的ですが「願えば叶う」というのは事実です。
イビツ&イビツが宝物になる
「願いがすべて叶う」ってのは、テトリスで例えれば“次に落ちてくるブロック”を自分で設定できるってことです。
達人レベルの創造力があれば長い棒ばっかり取り寄せて効率よく消せるはずですが、私はその領域には到達していないので、クリアな形で発注できずイビツなブロックが届きます。足もとはイビツなブロックで既に散らかっています。
でもそんなイビツなブロックを取り寄せてしまうからこそ、他のブロックを消せる可能性が出てきます。
例え話が長くなりましたが、つまりは人それぞれに固有の過去があるから願いを作れるし、一人ひとりの取り寄せたいものが違ってくるのは当然のことです。
卒業or留年?
これまでの社会では「長い物にまかれる」手法が効果絶大でした。
権力者の元には“養われたい人”が殺到しますが、そんな中で他の人より高待遇を受けるためには“被害者の立場を取る”ことがパーフェクトなやり方だったのです。
この事実には潜在的に誰もが気づいていたのではないかと思います。
「こんな過酷な仕事をしてる」「やめたい」なんて言っていれば妬まれもせず、他の人に仕事を持っていかれることもなくスムーズに進展します。
「旦那は粗大ゴミ」なんて言うのも同じで、同情をひくほど待遇が良くなるという世界観がありました。
願いを叶える仕組みと逆を行けば気の毒がられたり、生活が保証されてきました。
でも今まで体験してきて、どう思いましたか?
まだこれを続けたいでしょうか?
そんな問いを一人ひとりが自分自身の心に訊ねるなら、世界はあっという間に変わるように思います。
仕組みから卒業するにはエネルギーが必要ですが、ひとたびブレーキを外せば、そのほうが楽だと感じられるはずです。
みんなで協力しながら堂々と望みを叶えていきましょう。
京都からの帰り道、奈良県で生駒山の麓にあるネパール料理店へ。肉なし料理を選ぶので外食は大体カレーになります。
選ぶのは米ではなくナン。なにしろ「ケン」と持ち主の名前が書いてある道具を見て「ナン」に読み間違えたほどお気に入りだからです。
持ち帰りにポテトナンも注文しました。