こじれの解消
いかに代えがたい経験をして“なにかの気づき”を得られたとしても、それによって他の人より1段上に立つとか偉くなったと考えるなら不毛です。
お金を稼いだり貴重品や安住の地を獲得する活動も、度が過ぎれば「こじれ」ます。
集めたり積み重ねるよりも“偽りを無くす”ことに焦点を合わせたら、「これを求めてた間違いない」と思えるようになり、迷いが無くなりました。
マウントもへりくだりも
迷うのは“自分自身への偽り”が原因でしたが、それは他者との関係から始まっているように思います。
私の場合は「価値ある経験から何かを学ぶべき」とこじれた考えを持って、解決法を集めようとしていました。わざわざ重箱の隅を探さなくても良いのに“無価値”を恐れていたのでしょう。
世間で見かける例としては、見栄をはるために贅沢品を購入して、働かなくても良かったはずの本当に大事な時間を対価にしてしまうこと。
他には、人より優位に立ちたいからとマウントしたり媚びたり部外者にキツイってことも見かけます。本心で人と関わる前に損得を考えるのは「こじれ」です。
これらの偽りこそ、まさしくその人を惨めにする原因と考えますが、僕の見方が正しいと押し付けるつもりはありません。
助長するより相手のために
実際にそういった方と出会った時にどう接しているかと言えば、プレイヤーとして個人で反応するのではなく遠目で全体図を見る監督のイメージで、相手を楽にしてあげたいと願っています。
「どや」に皮肉で返したりすり寄るような反応をするのは、こじれを助長するだけで相手のためになりません。
その応用で、マウント気質の相手に仕事として関わるのは控えるようにしています。本当に目指すべきなのは、お互いをハブにし合うことではなく「支え合うこと」だと思うからです。くせえこと言いますが。
後で合流するし、恨みも解消して進みたいし、どんな人も楽にするつもりでいきたい。
こじれの元を断つ
言行一致するのが本来と思います。そうでなければ嘘を言って気を引くのと同じですから。
そして自分に落ち度がある時に謝ることも大事。
誰かと行動して「こじれ」を解消する気づきを見つけるのはとても価値のあることですが、そもそも元を断つべきです。
関わって気持ちに偽りが増えるのなら「相手のためにもならない」し、それぞれが他の方法を選ぶべき。「こじれ」を基準に見たら、誰と関わるべきかは一発でわかります。
だから個人に働きかけるのではなく、世界全体を変えるのも手段と気づきました。
変化の中では視野が狭くなりやすいけれど、誰かを裏切る分断ではなく、拡大方向にエネルギーを投じる感覚でいくつもりです。