水路にかかる足場が朽ちていて、落とし穴のように崩壊しました。庭木の剪定で切り取った枝をこの通路で運んでいた時のことです。
深さ1m程なので無傷で済みましたが、歩くたびに足場が減っていくのでは困ります。
だから場当たりでなおしました。
材木は祖父がストックしていたものを使用。サイズも大きく頑丈ですが、表面が変質していて屋外用途にしか使えないと思っていたので丁度よい。
手押しの一輪車で運びます。
通路が細いので枝や雑草を整えながら進みます。
またもや場当たりなようですが、必要なことを移動しながらDOしていくのが最適な時もあるはず。DIYなので自由にします。
「ちぎっては投げ」方式で、ここもクリア。
メインの材木を2分割して、補強材を釘で打ち込んで完成。持ってきた材料だけで仕上がりました。
橋を固定せず置くだけだとズレるので、生えていた自然の木に引っ掛けています。
橋を水平にするために“落ちていたコンクリートの破片”がピッタリでした。これを置くと橋自体がねじれ無くなるので痛まないし、橋の上を歩く時に安定します。
正解は無いし、改修も補修もすれば良い。DIY精神で仕上げます。
意識の拡大
こうして自然の中で正直な活動をしていて、気がついたことがあります。
私は自分自身の生命を使って何かを成したいと思ってきましたし、「精神性を高めたい」気持ちがあって全ての選択をしてきました。
しかしどうやら、努力したり苦行を積み重ねることは、その解決につながらないようなのです。
精神性を「高い・低い」で表すとすれば、「正しいか・間違いか」と同じように“他者を否定する”のと裏表でセットになってしまいます。
それを目指すとしたら、すべてを救う本当の優しさにはたどり着けません。
だからこう考えました。「思考にこじれが無いこと」を極めて、同時に「良くしたいと関心の持てる範囲の広さ」を発展させるべきなのかも。
それが人のためにもなるし、自分の受け取る経験をかけがえのないものにしてくれるようです。
自分以外の人やモノ、そして心や自然に関心を持って大切にすることは、自分の中にある「見栄っ張り」や「押し付け」などの“こじれた部品”を溶かす。そして“整えるべき自分の持ち場”を広げてくれます。
「廃材が目に止まれば誰のものでも関係なく片付けたくなる」
自然や町内清掃で出会う人から影響を受けて、そういう変化がありました。
話が飛躍してますが、正直な感想としてご報告します。