最大のポジティブさがあったはず
本当は誰もが「生まれてきただけで」役割を果たしていると思います。自分自身も忘れがちなので気をつけたくて書いてます。
「いつも忙しくしてないと価値が無い」とか「苦しんでいなければ優しくない」なんてことは無いのに、生きている間にそう感じてしまうことがあるのかも。
あなたにはそんな追い詰められるような気持ちになった経験や、周りから脅しのように同調を求められた記憶はありませんか?
生きてるだけで満たされていた
僕が思い出せる記憶の中に、そんな苦しみを手放して「ポジティブにしかなれなかった時」が確かにありました。
「未来がどんなでも最高だ」と、なんだって受け取りたい。なんだって笑える。
人の一生は春夏秋冬に例えられますが、その中で「春」の気持ちです。年齢で言えば幼い頃に感じることが多かったし、歳をとってからも春先に感じた経験が多いように思い出されます。
ある時は、屋外でお菓子を広げてくつろいでたら「未来への希望」以外は頭から消えていました。ハイキングコースで柔らかい風と金色の木漏れ日を浴びていると「満たされない気持ち」なんてどこにもなくなりました。
そんな底抜けにポジティブな気持ちです。
生まれてきた以外に理由が見当たらない幸福感。無条件にポジティブで誰も苦しめない「生まれてきたこと」しか理由がない。それこそが豊かさだと、疑うことなく信じられた時のことを思い出します。
誰もがそんな記憶を持っているのではないでしょうか?生まれてきた瞬間には、“恐れ”を一切感じずに「生きているだけで最高だ」と信じていたのでは。
恐れに飲み込まれない
そんな「あたたかい気持ち」を台無しにするのが“恐れ”だと思います。
恐れとは「信じないこと」です。
人を信じない。自分自身を信じない、感謝を信じないのも恐れているから。
「分け合えば足りる」という豊かさを信じないことで、奪い合ったり隠したりを始めるのも「恐れ」が原因です。
隠さないこと
つながりが希薄になるから、恐れが生まれます。薄暗い道で知らない人とすれ違えば恐怖を感じる。
だから挨拶をする。町の人とよく話す。自分から隠さず伝える。すると武装解除して助け合いができる。
「黙っていたらお互いに怖い」ってことです。
「我慢」に価値はない
「大人は嫌なことがあっても相手に言わない」という価値観もあるかも。それが誰かへの思いやりで、ためになると思っている人もいる。そして結論だけぶつける。(僕の母がそうでした)
でも我慢しなくて済むように「伝えかたを考える」こともできる。嫌なことを受け取った側だけで秘密にする意味が無いし「提案や調整」が出来ることこそが大人だと思いますがどうでしょう?
そして我慢する人は、こんなことも言います。「不利益を与えられたから自分の要望を飲め」と。これは気分の良いものじゃない。相手だって本当は苦しめたいと思ってないのに、一方的に悪者扱いをする。
もし自分の前にそう言う人がいたら、長い人生の期間で考えは変わるという前提で「それ違うんじゃない?」と言わせてもらうことにしてます。
「人は変わる」と信じられるなら「言った方が親切」です。言わないこと、さらけ出さないことで何か変わるでしょうか?反応をもらわないともったいないのです。
「生まれただけで最高」だった価値を台無しにしてるのは、まさに「黙り込む瞬間」です。
影響を与えて世界が変わることを信じられないから負の連鎖に陥る。休みの日も働いてる時も同じで、本当は例外なく我慢をしなくて良いはずです。
どこかで恐れに負けることで、批判めいたやり方を選んでしまいます。(自分にも言い聞かせてます)
必要なのは信じることだけ
本当はすべて「信じてよい」ことだし、さらけ出した結果に後悔はしません。誰かが苦しみの中にいるなら「人を信じて生きてる人もいる」と信じてほしい。
「秘密を選ぶ」人は、相手を変えることに責任を負うのを恐れてるのかも知れません。
でも生まれたことが大正解とするのなら、あとはどれだけ間違ってもトントンではないでしょうか?
自分も相手も信じなければ「あの人と関わって損をした」と言い続ける人生になる。全部が「赤の他人」で、観光地の出来事で終わる。とても悲しいことです。
私自身も人を信じることを恐れていましたが「提案や調整」が出来るようになって、救われたと感じています。さらけ出してぶつかり合うことで、人間関係が豊かで継続的なものに変わりました。
すべての人とご縁から、教えられました。
「遇いがたくしていま遇うことを得たり」という、ある春の日に見た仏教の良い言葉を思い出します。レアな出会いがあって、代えがたい教えを受けていると感じます。
信じることには、代えがたい価値がある
誰かのポジティブな気持ちが「信じない世界」に染まって台無しになることがあります。それがたまらなく悲しいので、ブログの投稿として言葉にして公開することにしました。
誰もがさらけ出して「信じられる世界」を取り戻すことを願っています。
最後に照れることを書いてみますが、僕はこの世界が最高に好きです。