『やっぱりおおかみ』
友人に教わって知り、読んだ絵本です。
「ぼくと似た子はいないかな」
違いを感じて生きづらいおおかみが、仲間や新しい居場所を探すストーリー。他者と通じ合えない気持ちは「おおかみ」だけでなく、誰もが経験しているのではないかと思います。
「違わない人」とだけ関わるのも、社会で生き抜くひとつの手段かも知れません。しかし目先の方法でなく、自分が変わってみようとも私は考えました。
「どうしたら通じ合える?」
あきらめて曖昧に相手と同調するのではなく、通じ合うためには?
新しい環境に飛び込むことを、私の場合は試しました。トレーニングのように新たな負荷をかけて、成果を期待をしたこともあります。「多くの人に会い、考えを知れば自分が相手に合わせられるかも」と。
そのように「違っても通じ合う」を自分なりに考えてきましたが、先週末に全てを振り返る機会がありました。先輩と飲みながら(私はソフトドリンク専門ですが)したのはこんな話です。
「違いを語るのが最高に面白い」
そのとおりだと同意しました。あれもこれもと具体例を話して、なかでも「行動する根源の気持ちや動機の違い」を話題に白熱。違いそのものを話題にしました。
一緒に飲んでいたカフェの代表が起業家の資金調達を応援するというので、私はその代表に「動機」を訊きました。
代表の経験や、社会や教育の仕組みに思うことを答えてもらいます。そこでわかったのは「自分が慕われ支えられたから、挑戦する仲間を支えて活躍を願いたい」のが彼の動機ということ。
聞いた僕は、彼の優しさに震えました。
「自分」が手柄をたてたいという承認欲求や、見返りを求めた「支えたい」ではなく、自分が支えられた経験が真っ先にあるから人を想える。
「惨めになりたければ自分のことを考えなさい、幸せになりたければ他人のことを考えなさい」チベット僧侶が言ったそうです。
カフェ代表の彼は、幸せを作るでしょう。
人があつまる中心になる、慕われる彼ならではの考えだと感じました。彼を慕う人物はアドバイスすると盲目的にこなすように動いてしまうので、「そうでなく、自分で発想して動いてほしい」だから「自分で動き出す人を支えよう」と考えたそう。
彼のように多くの人から慕われた経験は私にはないので、責任感を持っていて立派だと思いました。
湧き上がるものに従って「自分」を拠り所に動いて活躍する人もいるでしょうが、全体の一部として「支える」行動でも喜びが生まれます。
私がしてきた自衛隊や介護の仕事は、「全体の一部」として楽しめるものでした。将棋の駒がそれぞれに出来る動き方をして役割を果たすように。時には捨て身だし、それが局面を面白くします。「犠牲」でやってた感覚が無いのは、「守り、救う」対象に自分を含んでいたから。
もしかしたらすべての仕事に、支える要素があるかも知れません。動機は他人でも自分でも、私からしたらどっちが良い悪いではなく面白いと思っています。
そして「自分と違う人がいる」
この制限があるからこそ、最大の娯楽があると感じています。「自分」を発信して無限に願望の湧き立つ人がいたら楽しくなりますし、反応する人の存在感も出てくるから面白い。
「おおかみ」は気球で飛び去る計画を捨て、違うままで他者と生きることを選びます。
いつも発見があるのは生きがいになる。私にとっては、違いを持ったまま人の中で生きられることも今では楽しみのひとつになりました。