ありったけ生きるブログ

移住して便利屋やってます。

表現について。感情がモノに現れる、表す。

表現、モノ、命 

「ありったけ生きる」ことで

応援される瞬間が、

僕の人生にはありました。

 

「ありったけ」とは、

自衛官の頃に訓練し過ぎて

不整脈を出した時のように、

「自分の意思で」 

壊れるまで余力を残さず

使い切ることです。

 

どの行動でも応援されることで

個人の意思を超えて、

祭りのような一体感と熱狂を感じる。

おそらくこれが自分の生きかた。

そう思い「ありったけ」を

テーマに掲げてきました。

 

それから多くの人と出会った今、

自分なりの答えにたどり着きました。

 

感情とモノ

「いとちゃんのテーマは命が軸だね」

友人からそんな気づきをもらえました。

 

ここで考えた「命」は

「心臓止まるか止まらんか」の部分で、

ヒトとしてモノを動かす

はたらきかけが出来るか。

 

命があれば

手紙を書いて思考を人に伝えたり、

優しさのこもった街並みを

作り出すことが出来る。

 

そうやって思考は、

モノを通過して人の思考へ届く。

そのことで感情が動く。

 

「芸術表現」も同じなので、

いくつか実例に当てはめてみます。

 

舞台演劇

ヒトを使って出来事と

感情の動きを再現する芸術で、

行動あっての思考、

思考あっての行動。

演者のやりとりを観て、

「世界の外に居る観客」

の感情も動きます。

 

「思考をモノや行動に込めて、

それを受け取る。」

自在に行き来できると、

表現力が高いと言えそうです。

 

演劇の訓練を通じて文章が

上手くなるのも、ありえる話。

僕は演劇経験少ないながら

そう感じます。

 

映画

スワロウテイル」を最近見て、

クレーンでゴミの山から

ピアノを拾いだす場面で泣けました。

「危ない」って言われてるとこ

マジで危ないのが良いです。

 

表現への渇望を感じましたし、

感情が物質を越えて現れる

「命を投げ打った行動」に見えて

より強く感情を動かされました。

 

感情を動かす

感情を動かすとモノが動く。

「モノ」にはお金も含む。

ストリートミュージシャンへの

投げ銭もきっとそうで、

「お金を払わせてください」

となる根源だと思います。

 

想いあっても無くても表現

「ホームパーティの飾り付けを

すべて業務委託する」

そんなことがあったら野暮で。

時間をかけて楽しく

飾り付けが出来ると幸せで、

良い思い出になります。

 

ただモノと金が動くだけの

作業で作られた世界は、

極端に言えばゾンビ映画

「暖かみのなさ」で作られた表現で、

結果に良いも悪いも無いけれど

僕はこれにNOです。

 

武器を捨てる

感情の動く仕事こそが、

良い世界をつくるはず。

 

過去に

「個人ビジネスのコンサル」を

受講していましたが、

先生と「想い」の部分で

違ったので解約しました。

 

世の中にはスキルを刀と例え

「錆びた刀を10本持っても

戦えない。ひとつのキレる刀を持て」

と言う人も居るけれど、

それは奪う発想。

 

僕は武器以外を選びたいし、

道具をいくつ持っても良いと思う。

 

筆でもカメラでも良いし、

PCとキーボードも使おう。

ありったけ生きて表現をします。

 

予定している「表現活動」については、

ブログではなくSNSに書きます。