ありったけ生きるブログ

移住して便利屋やってます。

しっかり遠ざける

何かを欲しがったり、必要と思い込んでいるものに気を取られ意識を向けるなら「足りてない揃わない」と感じる経験に拍車をかける。

誰かのせいで自分の幸せが目減りすると気にしたり、自分を「被害者」と位置づけるのも同様で、もっと苦しめられる体験をすることになる。意識のあり方を強調する出来事が集まってくる。

ではネガティブに感じるものへ意識を向けるのをやめたらどうなるのか?

この1年ほど取り組みとしてやってみて、体現できるようになりつつある現在、「以前の質に戻りたくない」と断言できます。

逆境の経験から本当の望みを知る

「ふとした瞬間に誰かの気に入らない行動を思い出して怒る」という、とにかく粘着質に怒る自分が過去にいました。

その怒りから自由になれたのは、内観してしっかりウンザリしたからです。

「あいつズルい」とか「ウソのウワサを流された」と怒るとしたら、自分が同じ要素を持っていると認めていないのが原因。それが苦しみとしてひっかかる。

例えば「あいつズルい」という怒りの出処は、自分の根回しが通用しないやり方で出し抜かれたからだった。つまり自分が損得ベースをやめられずズルいから苦しむ。

「ウソのウワサ」に怒る自分は、もし実際よりも良いウワサを流されたら怒るだろうか?そこに気がつけば怒ってた自分が恥ずかしい。

そういうひとつずつを認識してしっかりウンザリすれば、自分の足を引っ張っていたネガティブな側面から卒業できる。次のステップに進める。

わざわざネガティブな体験したいとは望まなくなり、ネガティブな感情に意識を向けなくなるのです。これこそが精神の成長だと思う。我慢ではなく浄化ってこと。

かつて望んでたこともいくつか不要になった

「人を助ける物語」を自分がやりたいと願うなら他人を巻き込んで利用することもできるが、それは望まない。

助けることで救われようとする自分は、助けない誰かを責めていた。「優しさを演出できる機会」を見つけて喜ぶ浅ましさ。しっかりウンザリした。

しっかりウンザリした次の段階では、奇跡的な体験は普通に起きる。

「望み」は自分の中から欠乏感を消滅させた時に実現する。逆に言えば「望む」と叶わない。ではどうやって奇跡を起こす?

しっかり遠ざける

「嫌なものをしっかり遠ざける」これはある人が田舎の人付き合いに必要だと教えてくれたフレーズ。人間関係に限らず、そのとおりだと思う。

かつて自分の側面を知るために必要だった経験や人間関係も、もう要らないのならしっかり遠ざけることにする。

「世界を変える」なんて悪戦苦闘したり、「苦労して克服する経験」との復縁は望まない。復縁は望まないから、しっかり遠ざける。これも丁寧にやってみます。