夜にカエルを保護。
手で確保したのは初なのですが、オタマジャクシのように滑るかと思ったら意外に鮫肌でした。
軒下に置いている漂白剤に飛び込むと良くないので、外まで運び出すつもりでしたが、屋外の暗闇へ送り出そうとしたら逆に腕をよじ登ってきました。
落ち着いて楽しげなカエル。
見たい物のほうに身を乗り出すので、ガレージを案内してみました。背後のガラスは頂き物の水槽。
ダンボールに惹かれていたので着地させると、楽しげに高速で登ってました。
登りきって降りられず「詰んだ」という雰囲気を出していたので、ダンボールを傾けておきました。
七輪を見てます。飛び込みたいのでしょうか。
今ここを生きる
カエルが見ているものひとつ1つに反応する姿に「その瞬間を100%で生きている」と感じました。
なぜ私がそこに注目しているかと言えば「イマココ」から外れることが、自分自身にも周りにも苦しみをつくると理解していたからです。
誰かと会話するときに「あのころ楽しかった」なんて過去の話題を持ち出すのは「今がつまらない」のと同じ。最新の新鮮な「いま」を外れる話題を扱ったら台無しです。
過去の結果や無関係な雑念にとらわれない「ノイズが少ない状態」を実践するには、人間よりも動物がお手本になるかも。
媒体とライブ感
物語を読む、映画を観るなどのフィクションがダメとは思っていなくて、「何を感じる自分がいるか」を感じることで最新の自分を生きていると言えます。
受け取りはイマココにいながら可能ですが、作り手はどうなのでしょうか?
ブログを書くのはほとんど過去の出来事や気持ちを記すことですし、キャッチボールの会話ではなく、自分の記憶で受け取り手の反応を想定して書いています。
なので100%イマココでいるための邪魔になることに気がつきました。
「実体験を話題に心の話をしたい」と思ってブログを書いてきましたが、過去からパーツを寄せ集めたり、新鮮な瞬間を台無しにしながら記事を書くのは果たしてベストな手段か?と疑問になりました。
それを解消するのは“現在進行中かどうか”ってことでした。
現在進行中への「いいね」
他のSNSで「栃もち通販の準備をしてます」といった種類の投稿をしました。
これは他の投稿と同じで“過去の報告”ではあるのですが、結果の出ていない進行中だったからか、詳しく状況を書いていても停滞感や気分の悪さが生まれませんでした。
結果報告よりも、進行中の“実況報告”にこそ新鮮さがあります。
ですがその進行中投稿には「いいね」は集まらなくて、「100本目が売れました」と目立たない写真で投稿した時に「いいね」が多く集まりました。
他の人が反応したものは「自分も知ってますよ」と公開したい心理があるのでしょうが、現在進行中で結果の見えないものは「自分が知ってるのを周囲に知られたくない」から反応をためらうのだと思います。
だから同じ「いいね」でも質が違って、現在進行中の取り組みに「それいいね」と言ってくれるのは、とても貴重でありがたいことなのでした。
多数派に追従するのではなく権威主義でもなく、その人自身の心から反応してくれたということが1番大事だし素晴らしいから、それを明確に意思表示しながら活動します。
その手段は“現在進行中のクリエイターや起業家”とオンラインで話す「カレー会」を軌道に載せること。ブログも実況スタイルにシフトして続けます。
絵画制作を再開しました。進行中。