ありったけ生きるブログ

移住して便利屋やってます。

「ゆるす」効果効能は?

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通りかかった奈良県のダム湖で“瞑想”をしました。

「非効率で無駄っぽいものに興味がない」という方には唐突な話ではありますが、1日のうち1度くらいは逸脱を試すことにも価値があるはずです。

そういった変わり種としてご報告いたします。

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「瞑想のために」と、直感でこの場所を選びました。

目の前がすぐ崖になっているので脱力を極めたら転落しそう。恐れを感じます。

執着をやめてみた

「落ちて死にたくない」のはなぜだろうか?

瞑想を始める前に、この疑問とぶつかりました。

これまでに時間とエネルギーを注いで作り出した“成果物”を手ばなしたくない執着かもしれませんし「未来をずっと楽しみ続けたい」と期待する気持ちもある気がします。

でもそんな理由を考えるまでもなく、危険があれば恐怖を感じるし、身体に緊張が生まれます。

恐怖への反応

身の危険を感じる以外にも「生きるとか死ぬとか」の単語を聞いただけでネガティブに感じてしまう場合があるかも知れません。

“死”はTVニュースでいつも強調される部分ですので、多くの人が気にする部分なのだと思います。

それが「物質的な事実を言い表しているだけ」なのに、なぜか「直視できない失敗」のように扱う場面を目にします。

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本来は反応を選べるのに「思い込みやプログラムのようなもの」に乗っ取られていたとしたら、それを解除できれば、過剰反応を生じない「クリア」な自分自身に近づくこともできるはず。

私自身が経験した恐怖への反応を振り返ってみます。

パニックや「居付き」

自衛官だった頃の訓練を思い出すと、危険に怯えたりひるむ瞬間がありました。

例えば実銃は“死なせる道具”なので、使う時には否応なく自分の死も意識します。

空砲であっても銃口を向けられると殺意を浴びるし、実弾射撃同様に火薬を燃やして火を吹き出すので、初めは訓練とわかっていても焦りました。実戦経験のある兵士によれば、戦闘中の恐怖で大便までも出てしまうそうです。

恐怖のスケールが小さくても、対処できなければパニックになったり、思考が麻痺して動けなくなる「居付き」が起こる。これは誰しも経験しているはずです。

だから「怯むな、恐れるな」と誰かを責めるのは理不尽ですし、それは人間を理解していない要望だと言えるでしょう。

サバイバルモードの落とし穴

報道で「未知のウイルス流行」と言われたら、恐怖を感じるかも知れません。判断力を失ってしまう人も少なくないと思います。

“ウイルスの存在が証明できていない”という情報や、“検査で検出しているものは感染と関係ない”などの情報をうけて、報道を疑った人も少なからずいたはずですが、多数決の結果として日本社会は自粛を受け入れました。

それは「被害者ヅラした加害者」が多数の廃業者や自殺者を作り出しているように見えて、私はとても悲しかったし頭にきました。でもその背景には恐怖を使った操作があるわけです。

「自粛を受け入れるのは無関心だ」と責めるのは理不尽でしたし、怒るのは理想の行動ではないと理解しました。

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そして自粛の犠牲者にフォーカスするのも執着であり、サバイバル思想に陥っています。つまりは別の恐怖への過剰反応と言うわけです。要反省ですね。

恐怖を直視してなお笑う

実際に多くの人と認識を共有した過程で気づいたのは、真顔で意見を押し出すよりも、笑って周りを支えることが恐怖を溶かすし情報を1つずつ受け入れてもらえるとわかりました。

安全の中にいれば笑うのは難しくありませんが、危険の中にいて笑えるのは稀なスキルです。

“ライフイズビューティフル”という映画があるのですが、その登場人物は自由を奪われても冗談を言い続けていました。

そうして死の恐怖を乗り越えて笑うとき、真顔でのサバイバルよりも濃く生きていると言えるでしょう。それに他者を生かすから価値のある行動だと感じます。

やらかしても前向き

「ペットを育てられず殺してしまった」

「勤めてる会社に大損害を発生させた」

「破産した」

「電車に乗りトイレまで耐えられなかった」

例えばそんな危機的状況で、心折れず前向きに生き続けることはできるのか?

こうなると「自分をゆるす」しかありません。うつむくこともドヤ顔でいることもできるから、自分をゆるし、他人をゆるす。それが「前向きな未来」に必要なこと。

前向きと言っても「誰かの大切なものを台無しにしても忘れる」ということではありません。そういった場合には事実を直視しなければ自分自身を許すこともできませんので、謝ったり何をするべきか考えるのが大事だと思います。

もし忘れたフリで貫けば、同時に笑うことも忘れるでしょう。だから「ゆるす」ためには相応のエネルギーが必要になります。

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前向きな決意にたどり着く

瞑想する時は思考しませんが、それによってノイズの少ない状態に近づくので、以後の日常生活で気づきを拾いやすくなります。

言葉に残せる気づきの多くは、感情が動いたことに「なぜ」を繰り返した時に得られました。

なぜ頭にくる?「命を大切と思ったから」

なぜそれを望んだ?「実現して感動を共有したかった」

なぜ嬉しい?なぜ悲しい?…

どれも行き着くのは「誰かを大切にするには?」って話だから、真顔で怒る必要はどこにもありません。

こうして「ゆるす」ことの偉大さを知ったので、忘れないようにします。