すべて「成り行き」でもないし、すべて自分の意思で選んでるわけでもない。
雨上がりの峠道で、光の柱を見ました。
渓谷に光がさしていたので「出来すぎてる」と思いました。引っ越して祖父の家に住んでいたからこれを見たし、雨上がりの日に自転車で走っていたからこの瞬間に立ち会った。
無限にあるはずの選択肢から受け取るのは「1つ」だけ。そう考えてみると「別の選択をして生きていたら何を見られただろう」と、惜しくなります。
受け取ったことでの後悔は何もありませんが、すべてが貴重な経験だからこそ「他も見たかったなー」と欲が出る場面もありました。
“流れ”と選択
それぞれの瞬間で「次に何を選ぶか?」「何を選ばないか」を回答してると言えます。
流れに逆らうか、流されるか。0か1かの単純さではなくて、大きな流れを「活用」して挑戦もするし、偶然の展開を活かすこともあるでしょう。
シビアに“一問一答”で、1つの瞬間に2つを体験できません。
だから平穏に生きることも変化の無い生活も、突飛な挑戦をするのも同じで、凄まじい濁流の中にある貴重な瞬間です。
「会社と家との往復しかしてない」「待機しかしてない」その時間を生きるのも、想像できないほど破天荒に生きるのも同じ1日。
激流で動じないのも個性だし、緩やかな流れに生まれたのに過激なリアクションを取り続けるのも面白い個性と思います。
いずれにしてもどの選択も、必ず「何か」を表現することになります。
一方向で受け取っているのではなく、何かしらの反応を返しているというのが重要です。
「尾鷲」に何をできるか
このブログの投稿は、出来事ベースで何を思ったかという“報告”になってます。
ですが本来、受け取ることと反応を返すことはセット。報告をしているだけでは土地の人とつながることにならないので、会話のできるような“媒体”を作りたいと思いました。
準備を始めてサイトを作り、日々ヒントを探しています。
イベントも開催したいのですが展開できずにいて、まずは役割を持つために「お店になる」ことに取り組んでいます。
立ち上げの混沌を感じるサイトになっていて、ある意味では今ここでしか見られないものです。
もしギガに余裕があったらご覧ください。
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