祖父の家に住む【25ヶ月目】

南三重の過疎地域に移住して25ヶ月目になりました。
僻地なので静かな場所も近くにあって、すぐたどり着けます。
そして静かな場所では自分自身の本質にもアクセスしやすい一面があります。一度脱力することで、周りに合わせて「いらんこと」に気を回してたと気がつけるはずです。
削ぎ落とされる「余計なこと」
具体的に何が不要かと決めるのは当人次第なのですが、環境が激変した場合に要らなくなるものは「修正の余地があるのかも」と棚おろししてみても良いと思います。
「もしも」で想像してみてほしいのですが、いま関わっている人が各々1人ずつ無人島暮らしを始めたらどうでしょうか?
ついでにSNSやニュースのコメント欄に現れた人たちも無人島にいると仮定します。
「たいして重要なことを話してなかった」と思ってしまう内容が、多々浮き彫りになります。
「申請が」なんて心配する前に雨水貯めることを検討しますし、「政策が」とか言ってる時間はゴミです。誰かの交通違反を指摘する気持ちはすぐに霞みますが、野生のクマとの和解が必要になれば夢中で方法を探し続けられるでしょう。
その経験をした後で、元の生活に戻ってみると仮定します。
ワイルドのまま暮らすと
「困らされる要因」ではなく「困る」という自分の選択があるだけと、気がついている人も数多くいると思います。
「誰の責任で」と思考するのは損得ベースの発想なので、そこから脱却しない限りは、欠乏感と常に同行する生活が続きます。
一方で「被害者の立場でサバイバル生活してる」と感じるのをやめるなら、すべてがパーフェクトに揃って届けられているギフトだと認識が一変します。
この仕組みが完全に腑に落ちれば、居るのが町だろうと無人島だろうと、いつでも適用できるのもまた当然のことです。
自分の中にも静けさ
必要なすべてが贈られてくると私自身は納得したので、それ以降も納得し続けて楽しくやってます。
概要だけになりますが現在進行中の動きとして、ネットショップでカレーを販売する計画があります。
他には空き家リノベの相談を受けたので電気工事士の友人にも伝えて段取りを始めたり、他の人が作る商品を販売する仕事として、新しく製品取り扱いを始められることにもなりました。
3年前に共通の友人につないでもらった方から「名刺を探して電話した」と連絡が来たのは、疑いや欠乏感を発さずにローノイズでいられたから受け取れたギフトだと思います。
自分で取り扱うためのパッケージとラベルとチラシを制作してました。
商品を届けるまで動き続けないと無報酬。
その合間には鉄製品やアルミを買い取ってくれるショップへ持っていき、帰り道でパンや灯油を購入します。
忙しさに価値があると主張するつもりはありません。しかも人によっては「そんな仕事まっぴら御免」と感じるものでしょう。ですが私にとっては、どれをとっても今したいことです。
どこからともなく無から有を生み出すというよりも「材料が揃ってしまったから」楽しめるというのがかなり良くて、「旬のもの」と似たことだとおもう。出来事はもっと突発的で、季節ごとに保証されてない違いはあるけど。でも「ミラクルがあって当然」と思うなら事実になるってだけですね。
今までは「トライアンドエラーを繰り返すし苦労を厭わない。それが充実を感じるスパイスになる」というやり方でしたが、もうトライの部分もエラーの部分も味を感じなくなってます。
「当たり前のように生み出す」ってのはそれを軽く上回る刺激と気がついたし、実現するのは努力でも蓄積でもないとわかっています。
しばらく前にスクーターを処分したい人から購入して、少しずつ補修してます。

これは排気量90ccのツーサイクルエンジン車ということで、燃費の良し悪しをモノサシにするなら四輪車より不経済だと敬遠してしまう車両。
ですが近所の元バイク乗りが林道を走れる車両を探していたのがヒントになり、未舗装路を走れるブロックパターンのタイヤに取り替えてみようと計画してます。
所有に関しては本質を見失うきっかけになりやすいのを忘れないようにしたいと思います。
エンジンがかかるようになり試運転していると、15歳の時に原付きの試走を父親が認めてくれたのがこの土地だったのを思い出したし、他の忘れていた自分もひとまとめになって怒涛の感覚があった。またしても、思わぬ形でギフトを受け取りました。