小さな選択どこまで伸びるか

ワークショップに足を運んで、森林の土中環境を改善する施工を学んだ。
放置していた農地に応用できると考えた。実践してる。
親戚の農地を活かしたい気持ちはあったし、趣味では続けられないこともわかってる。採算ベースでできる形を考えた。
一年おきに植える野菜では、獣害があったら実りはゼロ。獣柵や遮光ネットの投資も大きいし、自然をぶった斬るやり方になるのは放置してた農地に対して申し訳ない気がした。(プロ農家は野菜畑に遮光ネットを使う)
一方で果実はどうだろう。柿の木はすでに農地にあって、毎年実をつける。そして落葉広葉樹の足元は草丈の高い雑草が生えてこない。落ち葉が覆うことと、大きな葉の日陰が理由のようで。
夏場は晴れの日に出張する屋外の仕事が多いので、自分で管理する農地は工数が少なくしたい。その結論で植えたのは落葉広葉樹のイチジク。

苗や挿し木を集めて日照条件や土を変えて観察する。
葉が伸びないときには根を伸ばしてるし、酸素は根から取り入れる。植え替え直後とかの根を伸ばす必要があるタイミングだと葉は増えない。
環境改善施工の効果があったのか、根への酸素供給が良くなったように見える苗もある。ブロッコリーのようなボリューム感で枝葉が増えてきた。
びわの実は例年では猿に持っていかれるけれど今年はガッツリある。近所でハンターが活動してくれてるのが理由と思います。
アレルギーの関係で自分では食べられないけど生産者にはなれそう。目指せ兼業農家。
品種で枝の伸び方に違いがあるようです。
雑草が苗の近くに生えていると苗も元気になる。水の蒸発をカバーしてくれたり、朝露を集めてくれるのも理由かも。
鹿にかじられるので覆っておく。見苦しいけど樹高が伸びたら撤去できるかもしれないので耐えてもらう。農地全体を覆うのは閉塞感があるので果樹だけ覆う。
新芽だけかと思いきや、大きめの葉でもかじられます。
秘蔵のドラゴンフルーツ。見た目はサボテン。
トゲがあるので獣害に強いかと思いきや1本まるごといかれた。仲間を失うのはつらい。防護柵内に避難してもらった。
根のある苗は伸びてきた。こうやって伸びるのか。
今まで続けて育ててきた仕事もするし、新しいこともする。いちいち全部リセットはしない。
(不用品処分の仕事もおかげさまで増えてるし車両や機材には投資してます)
(農地用の柵とか杭は引取品の再活用でもある)
短いサイクルの始まりと終わりを見て、続いてきた役割や持ち物(農地とか)に合うことを選んで拡大させてる。受け取ったものを使うのか使わないのか、その場で反応しただけ。
それが積み重なって「職業の名前」や「その人の生き方」になり、さらに焦点を合わせ続けるなら後世に何かを残したり、社会を変える大きな流れにもなり得る。
自分の選択が「どこ」と地続きなのかを見誤らなければ、誰しもが寝る間を惜しんで進み続けるはず。
いびつな部品で完成を見る

電気を契約していない倉庫に蓄電装置を導入。
AMAZONで買ったパネルとコントローラーのセットに、出先で購入した中古の自動車用バッテリーをつないでみました。LEDテープライトが光る。

自動車につないで100v電源を取り出すインバーターという機械を持ってたので流用。
ヤフオクで買ったマッサージ機が動きました。
良いマッサージ機ですが前のオーナーは処分したかったようで、送料込み1円でした。幸運。
とは言え充電を使い果たすと作動しなくなります。簡易パネルでは発電量が足りてなかった。

それから1週間後に48wのパネルを頂いた。単体では使えないものですが蓄電装置という土台が整ったタイミングで受け取れて良かった。テトリスというレトロゲームを思い出す。
しっかり発電してたのでパネルを入れ替えて、これから運用します。
マッサージ機には最大150wと記載があったので、このパネルで充電したら1日1回くらいは使えるのでは。

話は変わって車。
営業用の箱バン1台でやりくりしてましたが多走行車を酷使するリスクを解消するため増車しました。
個人売買で入手した中古の1000ccです。仮ナンバーで引き上げてから部品交換したりガラスの傷を磨く必要はありましたが車検通過。外観は補修跡多数なんですが。
カーナビは古いし使わなかったので外して、軽量化と節電で燃費向上させます。良くなった。
しかし空いたスペースから配線むき出しのままでは壊れた車に見えるので、布製バスケットを詰め込みました。それが↑です。
この車両は乗用車ですがチェンソーとか箒程度の荷物は詰めるし、運転も楽で燃費が良いので活躍中。協力者を乗せることも増えましたが快適に移動できてます。

引っ越しで平野部の河川敷を散策。
箱バンにはルーフキャリアをつけました。積載に特化。
「軽トラなら積めるのに」と悔やんできたハシゴや材木を積めない問題が解決します。

風を切るぶん燃費は落ちるかも。
これまではテトリスの長い棒を見るのが苦手でしたが克服しました。

配送の仕事後にここへ来た。志摩市。


今住んでる地域の産業で、過去に真珠の養殖をしてたとのこと。
それを知ったのでアコヤ貝を供養。

印象的な日の出を無心で見る。

物質と物語
倉庫を借りてます。
無店舗で古物商をしていましたが、自宅に置く物を減らしたくなったのと、品物を現物確認してもらう展示場にするために近所の物件を借りました。


秋に在庫として置いていた暖房器具。
冬の間に新所有者の元へ送り出しました。

三輪自転車で端材を積んできた時。

薪無料コーナーです。

急な不用品回収に対応できるゲートになってます。実は。


軽自動車なら置けそう。基地です。

原付も置きます。


要整備アイテムだけ自宅に持っていく。
これまでの移住生活で、自宅兼倉庫にしないことの重要性がわかりました。滞らせず流れを作る。

仮ナンバーを手配して車検切れ中古車も引き上げてきました。ボコボコ車ですが修復して乗ろうかと。
激安車でも経費はかかるし燃料費も必要。
古物商するなら商品の保管場所も必要。そこには賃料を支払う。
物質的な制約はいつもある。だからこそ工夫もするし本当に必要なものを見定める。
「ほしいからほしい」になっていないか気をつける。
「誰のため、何をするため」に道具を備えるのを心がける。
執着から自由で居続けるのは簡単なことではないと痛感してる。

箱バンの後退ランプをLEDにしたから明るい。
ようやくプロの配送屋になってきた。

ロードバイクがパンクしたのと寒さ問題の解決としてトレーニング器具を導入。
部品を消耗しないし道路を走らないから安全だし、映画を観ながらでも使えます。
でも実車で走るほうが頭が活性化するものだとわかったのでロードバイクは早いところ復旧させよう。
預かり車両も掃除して販売します。
ここまでの話、物質とか金銭とかを着眼点にしてますが、商売は取引先や相手がいてこそ起こり得る物語なわけで。
物の理解より人づきあいの理解を進めている自覚はあります。
ウワサとかクチコミを恐れる気持ちよりも、人を信じられる確かさを強く感じる。
ガセネタ吹聴する人物は周囲の人から好かれないので、ぶつかったら消滅する相手。
大事にしたい人を仕事かそうでない関わりかで大事にする行動を積み重ねる。
行動は確かなものとして人にも自分の記憶にも留まる。
金銭も確かなものと思われているけどそれ以上かも。お金持ちより「伝説を持っている」ことにスポットライトが当たる時ってあるね。
放ったものが自分に戻る

古物商許可を受けました。新型Tシャツには許可番号も載せてます。

新オーナーの元へ送りだした原付。

仕入れた状態では走れなかった車両。部品交換後に塗ってます。

晴れは屋外の仕事、雨天時はバイクの仕事。
おかげさまで仕事にのめり込んでいて、今回は久しぶりの投稿になりました。誰かに頼まれたわけでもないブログですが敢えて再開してみます。
思い出そうともしなかったこと
ひと昔前に単発日雇いの仕事をしていて、現場で携帯電話を落としたことがありました。
落とした場所に居合わせた人が拾ってくれて、その受け取りのために自分を車で送ってくれた人がいたから携帯は手元にもどってきたのでした。
そうして助けられたことがあったわけですが、今度は自分が請けた仕事を手伝ってくれた人がスマホを落としました。
過去に助けられたように、今度は自分が人を助ける機会が来たと思い一生懸命探したけれどそのスマホを見つけられませんでした。
成果が上がるかは別として、いずれにしても恩を受けたら返す機会が来るのだと納得する出来事でした。
今回、その逆に目を向けてみます。
「自分の携帯を探してもらい感謝した」ことがあったのを思い出せてはいるが、よくよく考えると感謝したから覚えてるのではなく、自分が携帯を無くして苦しんだからこそ覚えてた話。
自分自身の苦しみを無視しないことは容易にできるけれど、他の誰かを苦しめたことはあまり憶えていません。
何が言いたいかって、「自分が苦しみを与えられた」と不満を感じるのは誰しもできるけど「なぜこうなったのだろう。自分が誰かを苦しめたからだろうか」と思い出そうとする思考回路は持ってない。それを持つなら一味違う生きかたになるということです。
苦痛の連鎖から一歩抜け出すことになります。
(自分はこの仕組みに気づいていなかったので、同じ境遇の誰かに向けて書いてます。「そんなの常識だ」と思う人もいると思いますが大目に見てください)
言い換えるなら「自分の苦しみが誰かの無関心から生まれることがある」という主張は万人に理解されるのに、「自分の無関心が誰かに苦しみを与えてた」のを認めるのが難しいってことです。
生活に取り入れると、次のような反応になります。
自転車のタイヤがパンク。そんな時には「ツイてないな」ではなく「パンク程度で許してくれてありがとうございます」と感じます。
何の清算か自分でもわからないので記憶から探してみると、過去に自転車で踏んだタイヤが飛び石になって対向車のドアにぶつかったことがあった。自転車や道路上でのことに限定しないなら、他にも思い当たる節は無数にある。
すべての罪を数えるなら、他人や動物、植物、鉱石諸々をあらゆる形で苦しめてきたし、今もやめることができていない。だったら「自分が誰を苦しめていたか」と思い出してみたり、「どうしたらそれをやめられるのか」とまわりを見渡しても良いと思うわけです。
「苦痛や後悔が残らない行動」というのは、生き残ることや損得勘定とはかけ離れたものになるかも知れません。
だからこそ、苦しみの連鎖から抜け出す選択には格別の価値があるように思います。
切り捨てた選択肢から恩恵を受けている
人間関係、住む土地、仕事などを体験した結果、「これではない」と避けることがある。その時にひとつ肩書が減る一方で、大切なものが増えている。
偽りなく本心に正直な選択を続ける人たちは、「被害者の会」ではなく「大事なものが何かを知っている集まり」を形成することになります。人間の作るもので、これと同等に価値のあるものはいくつもない。
思い出すと、「そうでないもの」を遠ざけるプロセスから恩恵を受けてきたという事実に気がつきました。
選ばなかったものには選択肢であってくれたことに恩があるし、自分が選ばれなかったものも同じ。相手を尊重するし干渉しないのが恩返しであり、しかも自分の仲間を大切にすることになると思うからそうしてます。
信じると決める
移住して色々なビジネスをしてるのは自分の能力を試すのが目的ではありません。
便利屋として要望に応えるような、人を助ける仕事には価値があると思うから実行しました。本当に人を助けることができているなら、自分は飢えることなく生かされるはず。それが成立せず自分が飢えるなら、自分に生きる価値がないってだけ。
「奪わなければ生きていけない仕組みではない」と信じたからそうしたんです。
自分が生まれる前から「奪うことでしか生きられない仕組み」が完成されつつありました。
そこから抜け出して心で動くとどうなる?と、真剣に考えてゴリ押ししてるのが今です。
飢えや貧しさの反対に陣取るための取引にすぎない仕事、つまり「信じてない」やり方から手を引くと決めて、スケジュールが埋まらない日々も心変わりせず信じてみました。
そうして知らずのうちに積み重ねた1つ1つが、毎日のように自分を救う形になって返ってきます。おかげさまで依頼をクチコミで受けられることも増えました。
頼まれる理由は能力ではなくて「信じているから」に尽きると思います。
ご縁のあった人が次々とコンセプトに共感してくれるので嬉しいかぎりです。